2024.09.28 07:56詩と死 詩人は早逝する者が多い、とはよく言われることだ。だが、何故そうなるのかという理由については、あまり明確に言語化される場面は少ない。「詩」と「死」では韻を踏んでいて近しい、とか、詩人は感性が鋭敏すぎるので、わが身のほろびについても素早く感知してしまう、などと言われることは多いけれど、何か(例えばどじょう掬いで取り逃がした時のように)しっくりとくる理由がこちらに残らないのではないか。 そもそも何故詩...
2024.08.03 04:44無意識へおりる恐怖 先日、一つの夢をみた。雪のふるゲレンデに私はおり、(現実には雪山には一回も行ったことはないのだが)おずおずと山を滑走する夢だ。 夏の、それも炎天下まっさかりの季節に冬の夢をみたものだから、こうして目覚めている今でも印象に残っている。さらに言うとスキーをする夢というのも初めてかもしれない。 それにしても何故この文章を書く気にいたったのかと言えば、この夢の中で私は終始、恐怖感を抱いていたからだ。 ま...
2024.07.21 10:20「当事者研究」とは自分語りではないのか 昨今、さまざまな精神疾患を抱える者において、自身で「当事者研究」と呼ばれる散文を物す人が多くなってきた。またこの時流に乗る形で、「発達障害」と診断された作家や大学教授などが、それにまつわる著作をつぎつぎ出版するケースも多くなってきている。 私も高校時代に「統合失調症」という診断を受け、今も「自閉症スペクトラム障害(ASD)」という診断を保ち通院を続けている。さらに主治医から当事者研究をすすめられ...
2024.07.11 09:44臨界を知る 文学というジャンルにおいて「小説」が主流になってから長い時間が経っている(ここではあえて「歴史」という言葉ではなく、「時間」という語句を使っておく)。書店などをのぞいても、一番文学として流通しているのは小説だろう。文学における自律性・この消費資本主義社会での貴重さを担保するのは、流通の良さでは断じて無いが、そんな理想を嘲笑するかのように、日々沢山の小説が刷られ日々捨てられていく。 そうした現在の...
2024.06.28 09:29宿命のこと 私が尊敬する数奇者・青山二郎のことばに「本当の目利きとは、最初から目が醒めている人のことを言うのだ」という意のものがある。おそらくは物心ついた時から世界を素直に受けとることができた人間は、まずそのスタートラインに立てていると言えよう。しかしながら、最初の瞳に自身の恣意による曇りが入るために、目利きはただ目利きのみとして存在することができなくなる。何か人生における目標物を持ってしまうのだ。もちろん...
2024.06.16 23:47音楽のこと 私はヒップホップ・ラップミュージックが好きである。そしてそれに付随するビートが一定の音楽(ジャズやファンク・ソウルミュージックなど)も好物であり、このいわゆる黒人音楽ジャンルに限らせてもらうと、素晴らしいものを聴いている時はまるで釈迦の手のひらの上でなめらかに転がされている気持になる。 もちろん現実における事象としては「音楽を自分で聴いていてその分時間が経っている」という事になるのだろう。しかし...
2024.05.16 11:23一生の終りはどう仕舞うか/仕舞われるか 人は日々の雑事に追われ考えるよりも瞬時での行動が多くなると、人生が進んでいる感覚が優位になり「死」の存在を忘れることができる。つまりは(人は「死ぬ」ことによって一生を完結できるのだとすれば)生と死の相補的な関係によって完結する「全体感」を感じずに生きるようになるということだ。 もちろんそれ自体は悪いわけではない。さもなくば「死」を四六時中内面化することになり、その生自体たいへん辛い苦闘を強いられ...
2024.05.14 11:22孤独と孤立 学生時代だから大分昔の話になるが、ある時恩師が「孤立はいいけれども孤独は怖い」と問わず語りに言ったことがあった。私と恩師とで二人並んで歩いていた時で、どのような流れでそんな話題になったのか記憶にない。ただ、先生がその時遠い目をしていたのが気になって、今でも澱のように心に残っている。 私はその当時は「孤独なんてことは当り前じゃないか」とぽかんとしていた。人が人生で全的に認められることは有り得ない、...
2024.04.29 09:30時間感覚と「死」 生きている人間がその場その場で感受する時間感覚は、様々なときどきで千変万化する。とても長いように感じたり、あるいはとても短く感じたりもする。子供時代にはあんなに長かったと思われた時間が、大人になるとぐんと急に進みだすというのはよく言われることであろう。ここまでは誰しもが実感として容易にうなずけることと思う。 では何故そのような時間感覚の変貌が起こるのか。 おそらくは「死」という一事、人間はいつ...
2022.02.11 12:22自己嫌悪のこと この世に「私」が存在する限り、「私の思考」はやむことなく続けられる。それは便利なことではあるが、思考自体をやめられなくなる可能性をも含んでいる。私の思考をえんえんと疑い続けられてしまうのだ。いわゆる「思考の無限後退」と言われるものであり、止められるか止められないかは、本人の生きる力次第になってくる。生きるためには、思考を止めて動かなければならない。人が生きるということそのものを掴めるかどうかが、...
2021.12.30 13:35味わうこと 私も精神疾患を罹患している身であるから慎重に言おうと思うが、いわゆる精神病患者の特徴として「些細なことに過剰な意味付けをしてしまう」ところがあると思う。それは自身の出自であったり特性であったり、さらに加速していくと目の前のただの物に対してさえ「過剰な意味」を付加してしまう。 例えば、近頃は「発達障害」や「毒親」といった語によって自身を説明する風潮がある。そうした全員が精神疾患という部類に入れるべ...
2021.12.09 14:41人は一目で決まるか 人への感情は第一印象で決まる、とはよく言われる。どんなに論理的に組み立てていったとしても、ある人の最初の印象を塗り替えるのは難しい。人間は完全に理性的な存在にはなり得ないからだ。 だが、そのように一目で自得した信用が覆されることもあるだろう。心身の健康状態やおのれの判断の経験などで直観が鈍っている場合があり、往々にして人は騙される。「もっと考えておけば良かった」と後悔したり、相手に対して憎しみの...