宿命のこと

 私が尊敬する数奇者・青山二郎のことばに「本当の目利きとは、最初から目が醒めている人のことを言うのだ」という意のものがある。おそらくは物心ついた時から世界を素直に受けとることができた人間は、まずそのスタートラインに立てていると言えよう。しかしながら、最初の瞳に自身の恣意による曇りが入るために、目利きはただ目利きのみとして存在することができなくなる。何か人生における目標物を持ってしまうのだ。もちろんなにか夢や目標を持って行動するのは悪いことではないが、自然的な生き方に無理を強いるのは事実で、そこが人間の辛いところである。
 私は自分が目利きとは思えないけれど、学校や社会からのドロップアウトの経験を通して、自身の人生が何か筋書きでもあるかとしか思えないことがよくあった。自分で人生における選択をしているのは事実なのだが、出会う人間・出会う書物・出会う作品……これらが私の人生を祝福しているとしか思えないのである。もちろん私は社会に対して何も成し遂げていないし、他人から見ればただの障害者だろう。だからこそ様々な人と疎遠になったりもした。ただ、私は自然的に生きることを選んでいるのだと思う。周りの人間が反自然的な人生につっこんでいったとしても、私はこの宿命を貫かざるを得ないような体勢が固まってきている。
 誰に評価されるわけでもない。しかし結局人生というものは自分一人の孤独なものである。連れ添いがいたとしても、結局相手方のことは分からない。ましてや私は自然状態を一人で体現している感覚があるゆえ、他者をこの旅に巻き込むのは忍びないという思いを持つことさえある。先のことは分からないが、とりあえずは人生が自分を終点に連れていくという見立てを信じる他ない。

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