自己嫌悪のこと

 この世に「私」が存在する限り、「私の思考」はやむことなく続けられる。それは便利なことではあるが、思考自体をやめられなくなる可能性をも含んでいる。私の思考をえんえんと疑い続けられてしまうのだ。いわゆる「思考の無限後退」と言われるものであり、止められるか止められないかは、本人の生きる力次第になってくる。生きるためには、思考を止めて動かなければならない。人が生きるということそのものを掴めるかどうかが、無限後退を止められるか否かに掛かっている。

 さて、この文を書いている私は、時折自己嫌悪が止められなくなる時がある。何をしていても、何を考えていても、「私はいかに愚かで性悪なのか」という結論につながってしまう。そして自分の醜さに身悶えする思考のドツボにはまっていく。

 おそらく私は私のことに構いたいのだろう。そうしていれば、他者に出会うことはない。生きるということすら保留にしていられる。自己嫌悪による辛さに身悶えする代わりに、自分自身に引きこもっているというわけだ。

 そんな自己嫌悪を引き剥がすための方法が一つだけある。世界に夢中になることだろう。夢中になっている自分を認識し、またその自分を貶めることもあるから難しいが、そんな自分が世界に存在できている有難さを知ること、それが生きる力を育む第一歩だろうと最近は思う。

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