味わうこと
私も精神疾患を罹患している身であるから慎重に言おうと思うが、いわゆる精神病患者の特徴として「些細なことに過剰な意味付けをしてしまう」ところがあると思う。それは自身の出自であったり特性であったり、さらに加速していくと目の前のただの物に対してさえ「過剰な意味」を付加してしまう。
例えば、近頃は「発達障害」や「毒親」といった語によって自身を説明する風潮がある。そうした全員が精神疾患という部類に入れるべきではないとはいえ、自身の人生・考え方をそうした語によって意味付けするのは、おそらくそれだけ自身の生き方のやりきれなさに切迫感を感じているのだろう。
その姿勢は、健康的に使えば「人生における象徴を捉える」ことに繋がる。前述したような流行語的なタームから「象徴」を捕まえられることはないと思うが、目の前の世界を捉え、意味あるものとして味わうことは人生の醍醐味ではないか。
しかしながらこの世の中において、「味わう」ことには能動性が不可欠である。自分自身でこの世界と関わっていかなければならない。おそらく私を含め精神病罹患者の多くが、「味わう」ことに届くことができないのだとすれば、周りの人・世界への臆病さから来ているように思う。そして、自分だけの世界の中で意味付けを加速させていく。
この臆病さを脱するためには、まず自分から動く他にない。それはどういう営為を意味するか。己の自意識を捨てて取り組むことができる営為を発見するところからだろう。
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