2021.05.31 08:54ハウスミュージックのこと「ハウスミュージック」という音楽ジャンルがある。俗に「四つ打ち」とも呼ばれる。四拍子の拍をずらすことなくドラムが打たれることからそう言われるのだが、(クラブ等での音楽が身近になった今でも)ジャンルとしては未だ細分化されたものの一つだ。おそらくは「単純なリズムが続く」ことと「派手な展開がない」ことで、聴き手にとって我慢を強いるからだろう。 かく言う私もハウスミュージックの良さに気づいたのはつい最近だ...
2021.05.30 21:20「おばけなんてないサ」 お化けに遭ったことがない。私の周りには様々いたし、今もいる。幼い頃実家に暗い人の形した影に親しんでいたり、霊感が強かったりする人間に出会うことが多い人生だった。話を聞く分には面白いのだが、いかんせん私は感じたことがないので、拝聴するだけで終わってしまう。 信じていないわけではないのである。子供の歌の文句のように「おばけなんてないサ」と言ってしまえるなら楽である。少なくとも未知なものに対する恐怖感...
2021.05.30 21:07眠る 人は眠気に身を任せられる場合と、任せられない場合がある。夜横になり、目をつぶっても、安らかに夢へと誘われない記憶は誰にでもあるだろう。ましてや不眠症などにかかってしまうと、眠れるかは運次第ということにもなりかねない。辛いことだが、眠るくらいは自分ひとりの勝手でどうにかしなければならない。 現代の日本には、「睡眠」について様々なことが言われている。科学的な見地から「何時間睡眠がよい」「寝床に入る前...
2021.05.30 03:33俳句という「場」を思う 「古池や蛙飛こむ水のおと」 現代でもよく知られる江戸時代の俳人、松尾芭蕉の一句だ。この句は教科書や授業、NHKの教育番組などでも扱われたこともあり、子どもからお年寄りまで幅広い年代の人が目にしている。しかし、この句が当時どのようにして詠まれたかということはあまり注意されない。 朝日俳壇の選者であり読売新聞でも詩歌コラムを連載している俳人の長谷川櫂は、著書『俳句の宇宙』の中で、この句は初め「山吹や...
2021.05.29 01:30着飾らないドラマのミカタ 今クールのドラマにハマっている。特に毎週心待ちにしているのが、「着飾る恋には理由があって」と「あのときキスしておけば」の二本である。 見たことのない人もいると思うので、簡単に説明をしておきたい。 「着飾る〜」の方は、川口春奈演じる女子(勤め先のおしゃれ雑貨会社の広報部で、SNS宣伝を一手に任されている)が、腕ききだが店を取り仕切れなかった過去を持つ料理人(生活の面ではミニマリスト)と出会い、お互...
2021.05.28 15:20音を聴くこと 日々暮らしていると、人間は様々な音に取り囲まれる。ものの咀嚼音、体のふしぶしがポキポキ鳴る音、言葉にならないあくび、人は生きているだけでも音を発している。そして、この世には人以外にもあらゆる物が物音を立てる。電車の音、換気口の音、人工的なものだけではなくとも、風の音、草の音、川の水音、耳をすますだけで世界は音にあふれている。 しかしながら人間は音において、ほどほどの反応で納めるべきだろう。そうで...
2021.05.28 13:34リアリストと学問 「学問をすること」あるいは「勉強をすること」について考えていきたい。私自身いまだに勉強についての姿勢がはっきりしない。ただ、まず一つの説明の糸口として、二十世紀末に起こったカルチャーである、ヒップホップのことから始めようと思う。 私は一九九五年生れだが、その頃はちょうど日本にヒップホップの文化が見られるようになってきた時代である。ヒップホップとは何か、というのを一息に言うのは困難である。ただ、と...
2021.05.28 12:39納豆を食う手立て 朝、起床する。朝の飯を食おうと思う。はて、どうするか。 私はいかんせん不精の身であるから、一日の頭からテキパキと動くことは難しい。起床してすぐに目が覚めて動ける人達もいるだろうが、私はそれが出来ない。しかしながら朝起きてからの身を受け入れることはしなければならない。 まず、納豆を一パック食おう、そう思いきめる。米を炊いたり、味噌汁を作ったりできればそれは理想だ。ただ理想を毎日続けていれば体がもた...
2021.05.27 10:01『詩人・菅原道真 うつしの美学』(岩波文庫)評 今日、菅原道真というと、天神崇拝の影響によって「学問の神様」とのイメージが強い。受験期シーズンには、湯島天神など全国で天満宮(天神さま、道真を祀る)への参拝風景を目にすることができる。しかしそのような一般的な道真のイメージ像に対して、本書は古代における「モダニズム詩人」としての姿を描き出している。菅原道真には公的な学者・官吏の面だけでなく、すぐれた「詩人」としての顔があった。その顔をもつ一人の日...
2021.05.27 09:18腰を据えるエンタメ かなり昔の話になるが、映画「シン・ゴジラ」とアニメ映画「君の名は。」の二作が同時期に大きな話題となったことがあった。メディア宣伝による効果だけでなく、普段はアニメにも映画にも興味がない人さえ、話題にしていたように記憶している。 かく言う私もこの二作品をリアルタイムで見ている、わけではないが「君の名は。」は見た(「シン・ゴジラ」は当時から二年経ったくらいで見た)。どちらも胸躍る作品である。勿論、映...
2021.05.27 08:33「哲学書を読めない」 まだ学生時代の頃、私の周りには堅い本を読んでいる人たちがたくさんいた。ドストエフスキー、福永武彦、バルザック……文学書だけに限らない。アントナン・アルトー、ベルクソン、ガストン・バシュラール、マルクス……あげていけばキリがないが、彼らは美学書や哲学書などにも手を出していた。 私はその流れに追随したか。無論、追随した。また、そうした「趣味」の幅に関して、追いつき追いこせと焦っていた。「読書」に対し...
2021.05.26 03:55下手物として生きる 熊谷守一『へたも絵のうち』評 上手もの、下手もの。日本語にはこのような言い方がある。ただ「上手」「下手」という言葉を厳密な語の意味どおりに受けとると誤ることは多い。「上手だけれど面白みに欠ける」場合や、「下手だがなんとも言えない素晴らしさがある」場合が少なくないからだ。 この書では、画家としてなんとも言えない素晴らしさを味わえる絵を残した熊谷守一が、自身の一生を語っている。 熊谷は明治十三年に岐阜県の付知という村で生まれた。...