音を聴くこと

 日々暮らしていると、人間は様々な音に取り囲まれる。ものの咀嚼音、体のふしぶしがポキポキ鳴る音、言葉にならないあくび、人は生きているだけでも音を発している。そして、この世には人以外にもあらゆる物が物音を立てる。電車の音、換気口の音、人工的なものだけではなくとも、風の音、草の音、川の水音、耳をすますだけで世界は音にあふれている。

 しかしながら人間は音において、ほどほどの反応で納めるべきだろう。そうでなくては日常を暮らしていくことは困難だ。全ての物事を感受し続けるなど、人間の所業ではない。

 私は小さい頃、中耳炎を患っていた。病院に通うこともしょっちゅうであった。当時は深く考えたことがなかったけれど、耳について思い惑うことも多かったのかも知れない。そして、病院に行くだけで小さい私の「耳の感受性」は、怯えながらも敏感に働いてしまっていたのかも知れない。

 感受しながら、そしていい塩梅で受け流しながら、日々を積み重ねる。それがどれだけ大事なことか。音を聴くということは心地よいものではあるが、やりきれなくなることは多い。それほど世の中は世知辛いものなのだろうか。

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