リアリストと学問
「学問をすること」あるいは「勉強をすること」について考えていきたい。私自身いまだに勉強についての姿勢がはっきりしない。ただ、まず一つの説明の糸口として、二十世紀末に起こったカルチャーである、ヒップホップのことから始めようと思う。
私は一九九五年生れだが、その頃はちょうど日本にヒップホップの文化が見られるようになってきた時代である。ヒップホップとは何か、というのを一息に言うのは困難である。ただ、とりあえずここでは「マイノリティーの尊重のもとで成り立っている、黒人発祥の文化運動」とまとめておく。具体的には、いわゆるラッパーやグラフィティライター、ブレイクダンサーなども想像してもらえれば良いと思う。
九〇年代頃は特にヒップホップの担い手は貧しい者が多かった。彼らは自身を尊重せんがためには活動するわけだが、国家権力に代表される外圧により取り締まれることも多かった。勿論、法を犯す行為はあってはならない。それは盗みでも薬物でも殺人でも同じことだ。
しかし、では彼らが犯した罪の責任は、本当に彼らだけの責任なのか。私はそうは思わない。私自身ヒップホップに肩入れしすぎているだけかも知れないけれど、少なくとも黒人達には何百年という迫害の歴史の重みがある。そして、その裏で栄えてきた西洋近代社会がひかえている。
日本のヒップホッパーはいざ知らず、アメリカのヒップホップの人達はこの歴史性を背負い闘っているのである。何か一小節ラップするだけで逮捕されるかも知れない。あるいは射殺される可能性さえある。
それでも生きていかなくてならない。そう思い立った彼らは、獄中ですら勉学を重ねた。政治や社会動向について考え抜いた者も少なくない。そうして出獄後に立派に生き抜いている人達も確かに存在している。
「学問をする」とは、「真に勉強をする」とはそういうことではないのか。人は各々自身の限界を抱えこんでいる。黒人に生まれた者は一生黒人であるし、日本人として生まれた者はひとまず日本を意識せざるを得ない。その点、多かれ少なかれ人間はリアリストだ。そしてリアリストであるからこそ、様々な勉学に励むのである。
翻って、日米協定などにより他国のひ護の元にあるわが国において、「勉強をする」「学問をする」という営為はいかなる形を取るか。決して「ゆとり教育」のもとで惰眠をむさぼることではないだろう。まずリアリストの自覚を持たなくてはならない。それなしでは何を為そうと(ラップをしようとダンスをしようと)無意味なうたかたに帰するのは必定である。
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