下手物として生きる  熊谷守一『へたも絵のうち』評

 上手もの、下手もの。日本語にはこのような言い方がある。ただ「上手」「下手」という言葉を厳密な語の意味どおりに受けとると誤ることは多い。「上手だけれど面白みに欠ける」場合や、「下手だがなんとも言えない素晴らしさがある」場合が少なくないからだ。

 この書では、画家としてなんとも言えない素晴らしさを味わえる絵を残した熊谷守一が、自身の一生を語っている。

 熊谷は明治十三年に岐阜県の付知という村で生まれた。父親は実業家であったが、兄弟姉妹が多く家族構成も複雑だった。学校に上がる年齢になっても教師の価値観に疑問を抱かざるをえなかった子供で、本書でも社会の価値基準をごく小さい頃から遠ざけていた思い出が語られる。

 しかし、不思議とひねくれる様子はない。そのうち熊谷は、絵を描くことが「ただ好きだ」ということに気づき、この国当代随一の立派な画家になっていく。

 その中で二科会という画壇に所属し、絵の審査をやった頃のエピソードが面白い。「二科の彫刻の人」で「口を開けばすぐ下手クソだとかなんとか文句ばかり言っている人」がいた。つまり、上手か下手かというはっきり二分された価値観で作品をみている人間だ、ということだろう。そのように割り切られた価値基準では、あくまで「上手い作品」が良く「下手な作品」は悪い、となる。だからこそ、下手なものには「文句ばかり」言うことになってしまう。

 しかし、「私は上手とか下手とかいうことでは絵を見ません。」と熊谷は言う。また、下品な人は下品な絵をかけばいい、ばかな人はばかな絵をかけばいい、として「自分を生かす自然な絵」を描く営みから一生涯目をそらすことがなかった。熊谷は前述した「文句ばかり言っている人」に何を述べたか。何度も何度も顔を見るたびに「下手なのも認めよ」と話したそうである。すると二、三年ほどするとそうした人間も納得するようになった、と述懐している。

 熊谷守一の画業は晩年の作品群が真骨頂である。本書にも色々と彼の絵画が載っている。その絵は、一見子供のイラストのように思える。しかし、真剣に向かい合うと、全く持って生き生きとした油絵の絵画として、こちらに迫ってくる。画家の生涯とその作品を重ねあわせすぎることには難があるが、熊谷がその境地に至れたのは、おそらくは人間としての純粋な素直さによるのであろう。そして貴賤なく人間と出会い付き合った、その大柄な人格によるのだろう。

 本書は、「石ころ一つとでも十分暮らせます」と言い、何の気負いもなく「監獄にはいって、いちばん楽々と生きていける人間は、広い世の中で、この私かもしれません。」と熊谷が語って終る。本書の仕舞い方と同様、立派な生き様だったろう、と感じる。

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