俳句という「場」を思う
「古池や蛙飛こむ水のおと」
現代でもよく知られる江戸時代の俳人、松尾芭蕉の一句だ。この句は教科書や授業、NHKの教育番組などでも扱われたこともあり、子どもからお年寄りまで幅広い年代の人が目にしている。しかし、この句が当時どのようにして詠まれたかということはあまり注意されない。
朝日俳壇の選者であり読売新聞でも詩歌コラムを連載している俳人の長谷川櫂は、著書『俳句の宇宙』の中で、この句は初め「山吹や」から始まる案もあったと語る。
貞享三(一六八六)年の春、深川の芭蕉庵で蛙の句合せという場があった。芭蕉はその際、さきにカエルが水に飛びこむ音をききながらまず「蛙飛こむ水のおと」を作った。するとその場にいた弟子が初めの五音を「山吹や」がいいのでは、とすすめた、という(芭蕉の弟子、各務支考の『葛の松原』より)。
弟子がすすめた理由は次の通りだ。 ⑴当時の俳句界(俳諧)のあり方は和歌での因習に対して崩していこうとするものだった。 ⑵和歌の古典の因習では、山吹といえば蛙の「声」をもって来ることが習わしだった。 ⑶そこで、山吹に蛙の「声」でなく「飛こむ水のおと」を取りあわせて、とぼけた俳諧味を出したかった。
しかし芭蕉はそれをとらず「古池や」とした。その理由について長谷川は「和歌やそれ以前の俳諧に対する芭蕉の創造的批判」という。
これはあくまで長谷川の解釈にすぎないが、彼は芭蕉と弟子たちとのリアルな議論の場自体も「和歌」的な文脈などとの関係性とともにあった、ともいう。そして「芭蕉の古池の句は、もともと当時の俳諧という「場」に深く根ざしたものだった。時間とともに、その「場」が失われてしまうと、この句が本来もっていた和歌や当時の俳諧に対する創造的批判が見えなくなってしまった。」と語った。
私は学生時代に俳句に出会いもう五年になるが、最近とくにこの言葉が響いてくる。芭蕉が弟子たちと「古池や」について議論したように、今の俳句にも「句会」という自他の句を吟味する場が必須だが、コロナ以後その多くがリモート句会となっている。もちろんリモートでもある程度の吟味は出来るが、私個人としては対面式の句会よりは制限があると感じる。ネット環境の不備により伝達はなめらかに行かない。画面の分割があるため注意が散漫となる。よって俳句そのもの以外の要素により、句自体の吟味すらなおざりになることも多い。
だが、世の中には十七音の言葉にも命をかけてきた人達がいたことを知ってほしい。芭蕉の辞世の句は「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」だが、この句は郷里伊賀を発ち旅に出た大阪で病に倒れ詠まれた。その旅の目的は、大阪にて俳諧師としてデビューした弟子と古い俳人との間の不和を調停するためである。この句の「旅」は、決して気ままな一人旅といったものではない。
現代の日本人は、もっと人と人との関係性および人がつくり出す「場」を大切にするべきだ。そして俳句は本来は一番「場」と人間関係を大切にするジャンルである。テレビで流行しているような人を格付けしたり、おとしめたりするようなものではない。俳句とは、そして人間によって営まれる俳句の場とは、素晴らしいものではなかったか。
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