2021.09.24 06:26短編「親密さ」(レイモンド・カーヴァー著) 今手元にないので記憶を頼りにする他ないのだが、小説家・レイモンド・カーヴァーの後期短編に「親密さ」という題の作品がある。 主人公は作家の男である。彼が、昔共に暮らしていたが、離婚してしまった元の奥さんのところを訪ねる場面からこの話は始まる。男は今では再婚し、気鋭の小説家としても名をあげていた。そんな彼が、近くに寄ったついでにふらりと元奥さんのもとを訪ねるのである。 そんな男を彼女は家に上げる。歓...
2021.09.21 10:34「一日が終わってしまう」 昔、実家に住んでいた時、母方の祖父母とも同居していた。その私の祖母が夕方になると、口ぐせのように言っていた言葉がある。 「ああ、また一日が終わってしまう」と一人ごちるのである。 私は夕暮れを眺めるのが好きであるから、悲観的なそんな祖母を見て不思議に思っていたものだった。しかし、齢を重ねて、時間が無為に過ぎてしまうことへの後悔の念、そして年をとるごとに徒労感が増していってしまう人生の重みが分かるよ...
2021.09.17 10:15世間の風潮に 私には世間の風潮というものが分からない。もちろんテレビに代表される大衆的メディアをほとんど見ないということもあるが、それでも社会人として「今の世の中でこうした流れが主流となっているのだな」という雰囲気は漠然と感じることがある。しかし、果たしてそういった風潮がどこから来ているのか、全く判然としない。私の身の回りの人間関係には、世間の風潮からの態度を読み取れないからだ。 今私が思う「世間の風潮」のイ...
2021.09.15 12:23全てを「声」として受け入れる 学生時代に読んだ吉本隆明・糸井重里の対談本、『悪人正機』(新潮文庫)に、「声」についてこのような話がされている。 それは国文学者、折口信夫の源氏物語読解にまつわるものであった。 源氏物語に、光源氏が夜の庭にたたずむシーンがある。そこで源氏は月の光をうけたり、木々が風にさざめくのを聴いたりして、そぞろに涙を流してしまう。この場面と、「なぜ自然と涙を流すのか」という理由について、現代人はいまいち実感...
2021.09.10 14:50『若き芸術家たちへ ねがいは「普通」』をよむ 彫刻家・佐藤忠良、画家・安野光雅両氏の対談による本である。もう二人ともにこの世にはいない。だが、世の中の流れは次から次へ流れてゆく。今「願いは『普通』」と胸をはって言える者がいるだろうか。 佐藤忠良は一貫して「いつも普通に暮らしている市井の人」を形づくり、「そんな存在を通し、人間の厳しさや優しさを彫刻で表現したい」と仕事を遺してきた人物である。批評家などから「キタナヅクリ」と言われたこともあった...
2021.09.05 11:06趣味ということ 人は好んですることを「趣味」という範囲内のものにするか、「仕事」として行うか、に分かれるところがある。学生時代にバンドをやっていた者が、勤め人となり音楽から距離を置くようになるか、「メジャーデビュー」を目指すのか、というように。今の社会では、「好きなことを仕事にしよう」という風潮や、翻って「世の中は好きなことで食っていけるほど甘くはない」という風潮どちらもみなぎっているが、やや「好きなことを仕事...
2021.09.03 14:34世間に組み込まれて 人間は太古の初めから社会的な存在であっただろうか。そんなはずはない。どこかの時点で「社会を構成した方がよい」との判断から作り出したものであろう。あらゆるパワーバランスや上下関係、その他諸々の影響下で、個々に遣り取りの全てを背負わせるよりも「社会」に負えるものは負わせた方が簡便との判断からと思われる。人間は初めは「動物的な個々」であり、その上で「人間的な存在」踏まえ「社会的構成員」という肩書きをも...
2021.09.01 11:38人間にとって本当の地獄とは 人は死んだらどうなるのか。この問いに対して太古の昔から人間は答えを求めてきた。死ぬことは怖い。一体全体どうなるのかわからないからだ。生きている間の物事は全く関係なくなる。死という存在は、生きている限り最後まで謎である。 死の問いについて、日本人の間では「地獄」という考え方が根強い。死んでしまえば何もなくなるという考え方もあるが、死んだら天国に行くか地獄に落ちると考える人は多いのではないだろうか。...