趣味ということ
人は好んですることを「趣味」という範囲内のものにするか、「仕事」として行うか、に分かれるところがある。学生時代にバンドをやっていた者が、勤め人となり音楽から距離を置くようになるか、「メジャーデビュー」を目指すのか、というように。今の社会では、「好きなことを仕事にしよう」という風潮や、翻って「世の中は好きなことで食っていけるほど甘くはない」という風潮どちらもみなぎっているが、やや「好きなことを仕事にしたい」人たちの方が多いように思われる。
ここではあくまで私の見解を述べようと思う。私は「『趣味』の範囲をあくまで守り続ける」ことを目指している。それは「趣味」をことさらに周りに示すことを全く意味しない。自身の「趣味」は自身の「趣味」である。また、「仕事」としてやっている人たちを批判の目でなく曇りなく見られることを意味している。
これはあくまで難しいことだ、という実感が私にはある。妥協ない仕事を志している者から見れば、ただの怠惰な愚物のように見えるだろう。また、私自身の動きはあくまで趣味なのだから、虚栄心を満たせることは滅多にない。もちろん人は虚栄心のために生きているわけではないが、(仕事などによって)形になったものが広く共有されることは全くないというのは辛いものもある。
ただ、私のような者には何を残せるのか、そう考えた時、残るのはどう「趣味」と付き合ったかだろうと思っている。もう少し噛み砕いて言えば、関係性という言葉になるかもしれない。人はある年齢に達すると社会的な認証を求めるようになる。私のような存在はその認証をうっちゃっているに等しい。関係性から、付き合いから何が生まれてくるのか、まだ子供のような私には皆目見当がつかない。しかし一つだけ言えることは、その人生への所作から何一つ生まれなくとも「それでよし」とする気概を持つべきだ、ということだと思っている。
人生を趣味のように愛でることになるとは、十代の頃は思ってもみなかった。おそらくは怠け者で愚物な性質がひとりでに招いたことなのだろう。どう仕様もないものだ。
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