人間にとって本当の地獄とは

 人は死んだらどうなるのか。この問いに対して太古の昔から人間は答えを求めてきた。死ぬことは怖い。一体全体どうなるのかわからないからだ。生きている間の物事は全く関係なくなる。死という存在は、生きている限り最後まで謎である。

 死の問いについて、日本人の間では「地獄」という考え方が根強い。死んでしまえば何もなくなるという考え方もあるが、死んだら天国に行くか地獄に落ちると考える人は多いのではないだろうか。血の池に沈められたり、針の山に登らされたり、といった想像をいっぺんはしたことがあるだろうと思われる。

 なぜ「地獄」という場・環境が考えられたのか。もちろん「まっとうに生きなければこのような地獄に落ちるのだ」という戒めの意味が大きいだろう。死んでしまいその先にも(真面目な生き方でなければ)地獄というところが待っているとすると、生きているその時くらいは正面から自分の生き方と向き合うであろう。

 だが、血の池・針の山という環境よりもさらに辛い地獄というものがあるように思われる。もちろん呼吸の苦しみや肌の痛みなども辛いものだ。それでも物事との関係で自分の縁取りを見つけることができる。

 私が考える本当の地獄とは、何も存在しない虚無の空間に自身の意識のみ残ることである。意識による活動はとどめることができない。よって思うがままにあらゆる輪転が繰り広げられる。どんなに苦しくなろうと、狂おうと、何に寄りかかることもできない。助けを求めることなどもできはしない。

 おそらくは、だからこそ人間は生きている間にあらゆる物事と関わろうとするのだろう。自分の意識だけではない、愛情や魂をこの豊かな世界に残そうとするのだ。自我意識のみでの世界はあり得ない、そのように深く腑に落とさなくてはならない。さもなくば、本当の地獄が待っていることになる。 

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