2021.07.29 13:53ドライフラワー 今目の前にミモザのドライフラワーが瓶に挿してある。少々こうべを垂れぎみである。 彼ら彼女らミモザにおいて、ドライフラワーになると魂はどこに行ってしまうのだろう。心が渇くことも花にはあるのだろうか。現にもう目の前のミモザには生気はない。 舞っていた埃が葉に花に積もりつつある。
2021.07.29 13:47時間感覚のこと 時間とはみな自明のものだと思われている。誰しもが同じように共有しているものであろうし、それが失われたり無いものだとされることは考えられもしない。 ところが、最近では「時間は存在しない」と論ずる科学者などもいるという。私は寡聞にしてよく知らないが、個人的な実感としては飲み込める感覚である。 それは何故か、という理由を述べたいというのが今回の試みである。 先日、私は警察に逮捕され留置所に2週間ほど入...
2021.07.19 14:16二つの「狂人日記」 学生時代に魯迅・著「狂人日記」を授業で読んだことがあった。ありていに言えば「被害妄想」「関係妄想」に悩まされた人物を取り上げ、彼が書き記したとする日記によって現代中国にも残る古い因習を糾弾する作品である。中国という国は儒教による道徳を重んじながら、手ひどい因習の歴史も少なからずある国で、この「狂人日記」では「人喰い」の風習が鍵として語られる。人喰いという行為は(魯迅の生きた近代においても)否定し...
2021.07.11 14:31シチューとパスタ 食欲がとどまることを知らないのに金がない。太りもしない。金がなく、食材を買うのにもためらうからだ。それに重ねて労働・歩行・歌唱の三拍子で代謝だけがどんどん加速していく。自分としてはもっと体重をつけて威厳を保つ身になりたいのだが、ほうっておけばどんどん肉が減っていくのである。 今日は茹でたパスタにシチューをじゃんじゃか掛けて夕飯とした。「シチューとパスタ、どちらがいい?」と聞くような二者をダブルで...
2021.07.09 11:41歌う名無しの権兵衛 詠み人しらず。古今からの和歌には、名のなき人達による絶唱がさまざま見受けられる。 私は「詠み人しらず」の歌に出会うたびに熱い思いになったものだ。誰のものでもない(今の世の中での「著作権」のような所有欲には目もくれない)歌がこの世にある、その事実に感動してしまうのだと思う。その歌が良いか良くないかはひとまず置いてしまうくらい、「詠み人しらず」という名の持っている力は私にとって大きい。 今、名無しの...
2021.07.08 15:49妄想を位置付ける これは私のみに当てはまる事なのかもしれないが、周りの人々・風景・風物に対して関係妄想が広がることがある。例えば目前に晩ごはんを前にしても、そのコロッケが「コロッケ」として捉えられず、ネズミか何かの生き物とされてしまうというように。それはかなり極端である。がしかし、その妄想をいちいち自己認識し受け流すのも骨が折れるのだ。 こうした認知の歪みに対して、今の時代には様々な考え方が出揃っている。禅やマイ...
2021.07.02 12:58俳諧と政治 「俳諧と政治」と題をつけてみたが、この二つのことについて私は未だあまりよく分かっていない。 江戸時代から連句を主なジャンルとして発展した俳諧は、近代以後にできた連句を甘くみる風潮によってアクセスが困難である。近代の壁があり、「俳諧とは何か」をしっかり言うのは難しい。私自身の勉強不足もあるが、それ以上に古代歌謡〜和歌〜連歌〜連句を結ぶ流れが分からない者は「俳諧」をしっかり押さえられないのではないか...