時間感覚のこと

 時間とはみな自明のものだと思われている。誰しもが同じように共有しているものであろうし、それが失われたり無いものだとされることは考えられもしない。

 ところが、最近では「時間は存在しない」と論ずる科学者などもいるという。私は寡聞にしてよく知らないが、個人的な実感としては飲み込める感覚である。

 それは何故か、という理由を述べたいというのが今回の試みである。

 先日、私は警察に逮捕され留置所に2週間ほど入るという経験をした。事件に関して詳しく語ることは措いておく。幸いにも不起訴となり出ることができたが、その中で「時間感覚」について深く思い知ることとなった。

 逮捕された者は、おおよそ初めは独居房に入れられることになる。その中ではやることもなく時折留置の警察官が通り過ぎるのみだ。

 そうした空間の中で、私のうちの考えの速度が加速していった。また目に映るものが極端に同じであるため、自身の思考が止まらなくなり妄想に近づいたとしても留めるものが無い。自身の自明性がどんどんと削がれていく。

 私は幸いにもそうした状態から抜け出すことができたが、そのきっかけとなったのは恋人、友人との面会であった。私は己が関係によって生きていることをありありと思い知らされた。

 おそらくは「時間感覚」というものも、他者が感受されないと生まれないのではないだろうか。己のみしかいない世界では時間は削がれていく。今でもその時のことを思い出すと途端に身震いがする。

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