歌う名無しの権兵衛

 詠み人しらず。古今からの和歌には、名のなき人達による絶唱がさまざま見受けられる。

 私は「詠み人しらず」の歌に出会うたびに熱い思いになったものだ。誰のものでもない(今の世の中での「著作権」のような所有欲には目もくれない)歌がこの世にある、その事実に感動してしまうのだと思う。その歌が良いか良くないかはひとまず置いてしまうくらい、「詠み人しらず」という名の持っている力は私にとって大きい。

 今、名無しの権兵衛みたいな者が歌ったとして、名のある者として把捉され売り出されるか、徹底的に無視されるかのどちらかだろう。歌を歌として受け取る文化観がなくなってしまった。それは和歌からの伝統を捨てきれない短歌の分野でも、大衆的なポップソングにおいても同じことだ。「作者」「アーティスト」に歌は紐付けされる。売れない「名無しの権兵衛」の場合は「変な人間」とさえ捉えられることもある。おそらくは歌にまつわる(音楽的なあるいは社会的な)技術面が格段に進歩したため、歌にまつわる要素が多くなってしまったのはあるだろう(だから「良い歌」を「良い歌」とする価値観の定めが難しい)。しかしながら、私は「詠み人しらず」の素晴らしさへの思いを捨てきれないでいる。

 今この時も、世界のどこかで素晴らしい歌が歌われているかもしれない。そんな仮定を信じられるくらいには、私は歌に対して純粋なのだと思う。歌う名無しの権兵衛でありたいとも思うし、そうした立派な歌い手達を支持したいとも思う。

0コメント

  • 1000 / 1000