2021.11.27 13:11死を勘定に入れる 鎌倉時代の僧、親鸞は死について次のように言っているそうだ。 人はいつ、どのようにして命を落とすか分からない。そのような死の問題に対して、深く思い悩むのは無益なことだ、と。 人間は、そして生物はいつか必ず死が訪れる。だが、死のことにかかずらわり、精一杯生きるということがおざなりにされる場合も多々ある。また死ぬという一事に対して考えをめぐらせたところで、どのようにその人が死ぬのかなどは全く不明瞭であ...
2021.11.23 13:36感動と鑑賞 私は古美術や骨董の世界にくわしいわけではないが、その内の焼き物に「鑑賞陶器」と呼ばれるものがあるらしい。例えば茶道などには「手で使うための道具」が尊ばれる。いわゆる茶碗や花入などは、茶を愉しむという場のためにあるものである。それと比して「鑑賞陶器」は、生活で実際に使われるものではなく、純粋に「見ることのみを楽しむ」陶器のことを指す。 「鑑賞陶器」は今でも美術館などに入ったり、コレクターの垂涎の的...
2021.11.04 14:33マイノリティーと社会 近頃、社会において「平等」ということに対する意識が敏感になっている。ある社会的弱者及び集団に対しての差別が行われた、とされると、様々な形で制裁が加えられることが多い。社会での肩書きの剥奪、強い反感からの提言など、マイノリティーの側からの力によって、ある「差別的存在」が批判・非難されるのは普通のこととなった。 この社会の中から差別が消え、全ての人々が平等となることは良いというのは間違いないであろう...