夢の影響
人は誰しもが眠り夢を見る。その内容を覚えているかどうかはさておき、夢という存在をどう捉えられるだろうか。
人は夢の中で、現実世界ではありえない荒唐無稽な体験をすると思いがちだ。確かに起きている間ではありえないことが起こる。しかし、その夢を構成している材料自体は、目を覚ましている時の環境や心の状態が影響しているのではないか。さらに言えば、覚醒している際に触れない物事は、夢の中にすら出てこないように思われる。
心理学の領域では人間の夢は、現実においての自分に対して補償的に作用するとよく言われる。夢は現実での自分自身をそっくりそのまま反映するものでも、現実に現れていないものを補完するものでもない。ただ、しごく簡単に言えば夢は現実での自身と影響しあっている、ということである。二十世紀に生まれて精神分析および心理学という分野は、その世界を大きく開くことになった。
だが、その夢にうつつを抜かし、現実感を失うのも考えものである。現実に対するリアリティをしっかり味わってこその夢という心的世界なのだ。その前提を間違えると共有されている社会生活に戻って来られなくなったり、最悪の場合には様々な形で命を失うことにさえ繋がる。人間の歴史において、現実感を取り戻すことが出来ずに命を落とした例は数多い。詳述することは避けるが、身近なところですらそうした例を見た者も多いのではないだろうか。
そのような悲劇的な出来事に目をつむるために、心的世界に目を向けない、という態度も一つあり得る。しかし覚醒時にどんなに目をつぶったとしても、人間である限り眠って夢を見ることを避けられない。ならば、現実を味わいつつも、夢の方も味わうことが重要なのではないか。「味わう」という言葉は抽象的な表現ではあるが、自分と自分の身の回りを大事にするということ、その一事に尽きるような気がする。忌避したくなったり、恐怖感を覚えることもあろう。だが、何故私はそう感じてしまうのか、その吟味は欠かせない。そして、この世に超常的な出来事があるのは間違いないが、その出所出どころは、いわゆる現実と心的世界の関係性に密接に結びついていることは間違いない。
0コメント