家を作る
敗戦の日が近くなってきた。戦後から毎年その日はずっと意識されてきた。日本人として当然のことだろう。しかし、戦争及び戦前や戦後のこの国のあり方についてのスタンスは、日本人のなかで揃ったことはない。
果たして大東亜戦争での日本のあり方は良かったのか、悪かったのか。どこをどう反省して戦後に生かすべきだったのか。それすら明瞭でない。戦場での悲惨な出来事は間違いなく悲惨である。そして、戦下で国民が強いられた様々な物事はあってはいけないことであった。さらに他国民に対する日本のあり方も深く反省されなければならない。
しかしながら、そのように総懺悔して戦後日本が良くなったことは一度もない。この国は総懺悔し思考停止し、この令和の有様まで来てしまった。
考えるべきは、古くからの日本の良さ悪さが戦争によってどう露呈し、戦後に至ったか、あるいは戦後と断絶してしまったか、である。それなしには、この国は行きつくところまで総懺悔し思考停止し、堕ちている自覚もなく無限に堕ちていくだけだろう。
幸い、この国には日本について考えてきた数少ない先人がいる。今回はその中で民俗学者の柳田國男『先祖の話』について記してみたいと思う。
柳田の著作をひもといた際、まず重要視すべきは「この本が記述される必然性は何なのか」ということだろうと思われる。その観点を外すと彼の研究はただのトリビアな羅列に終わってしまう可能性がある。だが、どんなに局地的な日本民俗の記述であろうと、柳田國男には確固たる信念があった。
それは「連綿と伝えられてきた日本人のあり方を、これからも後世に遺す」ということである。
ではなぜ柳田は『先祖の話』という本を書かねばならなかったか。この著作は大東亜戦争、太平洋戦争真っ只中に記された。アメリカによる大空襲によって家族共々焼かれたり、あるいは孤児が膨大に出ている只中である。それ以前、近代日本という国には家自体根絶やしにされるような戦争の経験はなかった。だが、今回は無差別攻撃により民衆すら攻撃の対象にさらされる。
柳田はこう思ったのではないか、「このままでは古来から続いてきた日本という国のあり方が絶やされてしまう」と。民俗学者として、いや日本人としてなんとしてもそれだけは防ぎたい。そこで日本人の先祖観、家というものに対しての意識を『先祖の話』に刻みつけようとした。
柳田は『先祖の話』において、家についてとても柔軟な考え方を語っている。二、三代前であってもある家のはじまりの先祖になれるし、長い日本の歴史においてもそうした例は数多くあった、というのだ。ここには間違いなく、この戦争で日本の家が絶やされてしまうことへの柳田の危機感があると思う。
戦後、この危機感を誰がしかと受け取っただろうか。令和の日本では核家族はもはや問題ですらなく、ひどい少子高齢化のすえ孤独死の頻発という事態となっている。柳田は日本が戦争、敗戦によって駄目になることは見通していただろう。その上で「家をもう一度作る、復興する」ということを語った。今の日本は「家を作る」どころか、誰ともかかわらず友人も持たず、一人で今をやり過ごせれば構わないという雰囲気すら漂っている。
敗戦について、この国の全体的な雰囲気は思考停止して憐れむだけだ。私はもうそれは仕方ないと思っている。だが、一人一人が生き方において思考停止するわけにはいかないのではないか。現に柳田國男という人物は、一人の民俗学者として「この国のあり方を伝える」ことに対する思考を戦争下においてすら止めたことはなかったのである。
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