「ことばづかいはむつかしい」

 私たち人間はコミュニケーションをしなければ生きていけない。考えの遣り取り、およびそれに付随される実質的な遣り取りすら出来なくなるからだ。私たちは言葉(それは音声的・文字的なものに限らない)を使わなければやっていけない社会を所与のものとしてしまった。おそらくは意思疎通に苦手意識をもつ者には苦しい限りだろうが、私としては何とか折り合いをつけるしかないのだろうと思っている。

 意思疎通にはありとあらゆる要素が含まれている。言語そのものの意味内容のみでなく、言外の意味、会話の中での間、あるいは空気感といったものまで、全てをあらゆる場所で完璧にこなすのは不可能に近い。「ウマが合う、合わない」という日本語が示すように、意思疎通についても伝わりやすい者とそうでない者がいるだろう。

 ただ、その難儀さから人間は逃げることが出来ない。成長するにつれて「むつかしい」で済んでいたものが、必須の物事となって鼻っ柱をへし折ることさえある。「ことばづかいはむつかしい」という実感は抱えながら、それでも意思疎通の場に直面した際には、新鮮な気持ちで向かわなくてはいけないのだろう。

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