実にならない発散
とりとめのない毎日に忙殺されると忘れたままになってしまうが、人間にとっては楽しさを発散するのが一番である。発散することで身体的にも心地よい負荷がかかるし、何より心に抱えていたものを吐き出すのは悪いことではないだろう。
「表現者」として世間に認められている者ではない人達にとって、発散する行為の多くは実にならない。金にはならない(逆に使う事にさえなる)。時間と労力も削られる。仲間がいなければ伝達による喜びを得られることもない。現に一労働者である私はそうした身分に近い。ともすると(発散を何かの形にしても)徒労感に苛まれることさえある。
何か発散している最中は幸せだろう。そして私とは違って、実になる実にならないに囚われなければそれは幸福そのものである。
実にならないにも関わらず、少なくとも私の場合はなぜ発散するのだろう。原因はまだ分からない。おそらくはこの現代に生きるということはそれほどまでに何かを抱えているという事であろうか。
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