米をとぐ

 題名は失念してしまったが、鈴木清順の映画に「炊飯の米をとにかく愛する殺し屋」が主人公のものがある。

 殺し屋の中でもナンバーワン、ナンバーツーを争う腕利きの人物なのだが、米が好きすぎて(映画の中では)彼が炊飯器を抱いてうっとりとするカットが何遍も挟まれる。激しく理知的な銃撃戦の後や、美女を抱いていた後に映されるそのカットには、彼の生命力とでもいうべき米への愛があり、私には特に印象に残っている。

 自分のことを言えば私も米が好きだ。炊飯器を抱くことはないが、四合・五合と米を炊きぺろりと食べてしまうこともある。横にいて一緒に食べている人たちにびっくりされることもしょっちゅうだ。何故なら私は175センチ、60キロとお世辞にも大柄な方ではないから。

 それでもニコニコと食べてしまうのである。決して味わっていないわけではない。二十回ほどは噛んで食べているし、だからこそ食事には時間がかかってしまう。ただ、その間、幸福感はずっと持続する。横に気が置けない人たちがいれば天にも昇る心地だ。

 そんな私だからこそ、「米をとぐ」という営為もまんざらではない。普段は家事に積極的ではないけれど(掃除や洗濯は段取りの時点で気落ちしそうになってしまうほどだ)、米とぎにはニンマリしてしまう。炊飯器に米を量り、そして冷水でシャラシャラと洗う。とぎ汁を少しずつ流して行く時、まるで私の中のどろどろとした夾雑物まで流れていくように思う。

 最近はなかなかやれていないが、フライパンで米を炊くこともある。フライパンに米を入れ、とぎ、水を入れる。沸騰するまで強火にかける。ポコポコしてきたら蓋をし、中火にして十分強何も触れずそのままにする。最後におこげのために再度強火で炙り、十分蒸らせば完成だ。米の香りがなんとも言えないほど部屋に広がる。

 世知辛い世の中だからこそ、米をとぐことくらいは大事にしたい。生き馬の目を抜くような世界の殺し屋もだからこそ米が好きだったのだろうか。

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