煮物の落ち着き
昨日、めかじきを煮込んだ。
煮物を作っていると、時の流れがゆったりとなる。煮汁を量る動作、付け合わせの人参やえのきを切る動作、そして煮込み。一つ一つの手順が心を落ち着けてくれる。これは炒め物などの場合にはないことだ。
もう命を落とし切り身となってしまっためかじきは、当然のことながら動きはしない。東京に住み、魚を一匹捌く機会も少ない私には、魚の死は縁遠いものになってしまった。勿論、料理をしている時はそんなことも思わないけれども、感情の振幅によってふっと気持ちが触れそうになることがある。果たして、ここに生きている自分が、安易に食にありつける資格があるのかどうか。ただこれは私一人の感覚なのだから自らで処さなくてはならないだろう。
日常生活でさえ、気が触れそうになる出来事はそこらじゅうに転がっている。
ただ魚を煮込み、出来上がった煮物を前にしてご飯にがっつく時、私は煮物の落ち着きと食事においての幸福を存分に味わっている。それで十分であろう。
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