ゴッホを愛する

 ゴッホの絵を好きか、嫌いか。この問いは絵画愛好者にとって踏み絵のような質問となっている。

 日本においてゴッホという画家は西洋より人気だ、と聞いたことがある。西洋でも勿論ゴッホの絵は評価されているが、日本のように絵画について全く興味がない人も知っているということは少ないようだ。ましてや、この国ではゴッホに対して数々の「芸術家神話」とセットで記憶されているところが大きい。

 ゴッホの絵は西洋絵画史的な文脈であらわすとすると「後期印象派」である。印象派について一言で説明するのは難しい。ただ、ゴッホという画家は、歴史的に言えば印象派という絵画運動がばらけてきた際に出てきた、ただの一画家にすぎない。

 彼の絵なり彼の画業なりが日本で有名なのは、歴史的な流れはなしで「芸術家神話」が流布した面が相当あるのではないか。そしてまた厄介なのは、ゴッホという人物が、大衆的な「変わり者としての芸術家像」にぴたりと当てはまりやすい、ということだ。人恋しさの感情だけで、普通人間は耳をそいだりはしない。ましてや精神病院送りになったり果ては自殺したりはしない。そうした(一般的な価値観からみて)異常な出来事をすべからく経験し、かつ画業を手放さなかったのが、ゴッホという画家であり人間であった。

 その上で「ゴッホの絵は好きか」と問われた時、絵画を愛する人間は答えるのに詰まってしまう。「ゴッホの絵」それ自体に言及しようとすればするほど、「人間としてのゴッホ」が価値判断の場に踊りでてくる。ましてや質問者当人の方が「芸術家神話」を信じている者なら尚更だ。

 とはいえ、私自身はゴッホの絵が好きである。麦畑や杉木立の描写には思わず共鳴してしまうし、人物画や風景画の風通しの良さは無類だと思う。ゴッホという人自身を私が目前にして好きでい続けられるかは分からない。「人間」を目の当たりにすれば 「絵画」も嫌悪するかもしれないが、とりあえず「ゴッホが好きな、絵に対して無学な奴」だと人から思われても良いくらいにはゴッホの絵が好きだ。

 なにものにも惑わされず、真っさらな目で何かを価値判断するのは難しい。それはゴッホの絵画だけに限らない。人間が生きている間は、判断して自分できちんと選びとり生きて行かなくてはならない。ここからは無学な私の想像にすぎないけれど、だから人間は金銭の価値の物差しを考え出し、流通のよすがとしたのではないか。世の中は全て金だ、と考えられるのならばそれほど楽なこともないであろう。

 ゴッホ自身は生きている間に「絵を描いている私」と折り合いをつけることが出来ただろうか。そんな問いはもう無意味に近い。それでも私はそう問わずにはいられない人間である。それだけ(ゴッホの絵画だけでなく)ゴッホという人間に魅入られてしまっているのかもしれない。

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