一本の木を見つめる
日常生活のなかで、「一本の木を見つめる」というのはどういう時だろうか。
私には「その眼前の自然(ここでは一本の木)を見つめざるを得ない時」だと思われる。普段の生活の流れにせきたてられると、少なくとも私は目の前の自然の風物に対する心を忘れてしまう。有り体に言えば余裕がなくなるのである。
それでも、一本の木に向かい合う瞬間は人生にやって来る。それは人間どうしの社会での余裕のなさにも飽き飽きし、社会で振りまわされる他ない自分という存在にもほとほと参ってしまう時だ。そこまで思い詰めると、人は自然を見つめざるを得ない。
そんな人間を相手どって、いついかなる時でも「一本の木」はそこにある。有難いことである。
0コメント