西行にとっての「生きる」ということ

 年たけてまた越ゆべしと思ひきや

  命なりけりさ夜の中山


 西行の和歌の中で、私が一番好きな和歌である。この歌に初めて出会ったのは、中学の頃に小林秀雄の「西行」を読んでいた時だ。小林秀雄を読む中学生などロクなものではない。おそらく当時の私は、周りと合わせられない自我意識をもてあましていたのだろう。

 そのような時期にこの歌に出会えたのは、本当に身に余る幸せであった。西行という人間はいたく単純なその名の通り(文字通り「西方浄土へ行く」という名だ)、そうとうな求道者だったのだと思う。私は未だ彼と彼の生きた時代について不勉強だが、平安末期から鎌倉までの混乱期に生きたことは知っている。西行はその時代のなかで、「美」や「幽玄」の観念につきしたがう専門歌人らに同じることが出来なかった。おそらくだからこそ京の都をはなれ出家したのだろうが、武士出という彼の出自は、僧という立場に安住することも許さなかった。

 以上、記したことは全て西行の内面の劇である。外的なものに屈して、「専門歌人」として、あるいは「武士」として、もしくは「僧侶」として一生を終えることもできたはずだ。しかし、西行はそうした安易さ、外的なものからの逃げに流れることは一生涯なかった。


 年たけてまた越ゆべしと思ひきや


 ひたすらに生き、年齢を重ねても、越えるべきものは死ぬまで眼前にせまってくる。そう感じ入った西行は、だからこそこの上句をまず吐き出だす。だがその詠みぶりには悲愴感も苦労人としての自負もみじんも感じさせない。ただただ人間にとって自然なことを自然に詠っているだけだ。


  命なりけりさ夜の中山


 それが人の命というものだ。「生きる」ということだ。だが、いくら悟ったとしても、今現在生きている自分が地を踏みしめていることに変わりはない。そのような西行にとっては「さ夜の中山」も慈しみを抱かざるをえない存在だったろう。

 私は西行を理想化しすぎているのかもしれない。彼には色恋沙汰や今でいうスキャンダルのような数々の伝説もある。しかし私は、最期死ぬまで「生きる」ということに必死であった西行の姿だけは、信じてよいような気がしている。

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